『御手の下』Ⅰペテロ5章6節~11節6、ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。 神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 7、あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたのことを心配してくださるからです。 8、身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、 ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 9、堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、 世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。 10、あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの 苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 11、どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。 ===================================== こんにちは。この一ヶ月の間、どのようなことがありましたか? 私は、犬を飼いました。シーズー犬のオスで、7/17生れです。 名前は創世記12章1節~3節の御言葉から、アブラハムとつけました。 「あ~ちゃん」と呼んでいます。 今、シツケをしているのですが、トイレを覚えさすのが大変です。 違う場所ですると叱らなければなりません。犬は大きな音がキライなので、怒る時に新聞紙を丸めたので床を叩くといいと聞きました。新聞紙でなく、スリッパで床をおもいっきり叩いて怒っています。昨日は、違う場所にして急いで逃げようとしていました。 聖書を見てみたいと思います。(6節を読む) Ⅰ、神の御手の下にへりくだる(6-7) a、 ちょうど良い時 今、犬の話をしましたが、彼にとって現在は怒られてばかりの苦難の時だと思います。怒られないように、トイレを覚え、また、褒められるように様々の事を覚えていきます。しかし、これらの訓練を受けなければ成犬になった時に、人に迷惑をかける困った犬になってしまいます。それこそ、保健所行きです。 私たちにとって、砕かれている期間は苦痛で何のためであるかわからないのですが、 神様の目から見た時に、それは高くするためのちょうどよい時があるからなのです。 b、 ゆだねなさい (7節を読む)思い煩いをゆだねなさい。私たちは神様の力強い御手の下にあるのです。イエス様は言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」 c、 神が心配してくださる 神が心配してくださるのです。すべてを治めておられるお方が、誰よりもよく、あなたを知っておられるのです。そして、あなたのことを心配されているのです。 心配という言葉には、「うまくいくように面倒をみること」と言う意味があります。神様があなたの人生がうまく行くように面倒を見てくださっているのです。 Ⅱ、敵(8-9) a、 狙われている (8節)ここには私たちは敵に狙われていることがかかれています。私たちの敵は悪魔です。吠えたける獅子のように、食い尽くそうと狙っているのです。 エペソ6章には、「私たちの戦いは血肉に対するものではなく、」とありますが、 サタンは偽りの父ですので、狡猾に私たちキリストを信じる者をだまします。 サタンは直接にキリストを信じる者に手を下す事は許されていません。 ヨブを打った時も、神様に訴えて許しが出てからヨブの体を打ちました。 サタンは、状況に働きます。私たちが神さまを信頼しないように、疑う心を与え、人間関係を崩します。私たちが傷つけられたと怒ることにより、その人を憎しむという罪をおかします。そして、罪が入ると、それが仕切りとなって、神様の愛から遠ざかってしまいます。それが、悪魔の策略であることを気づかれないように私たちをだまします。しかし、聖書には私たちの敵は、「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものである。」とはっきりと書いてあります。 b、 立ち向かう そして、堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい!と言われます。 ヤコブ4章7節には「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げ去ります。」とあります。 堅く信仰に立って、神様に従いましょう。悪魔に欺かれないために、御言葉に親しみ神様とさらに、深い交わりを持ちましょう。本物を知れば、偽物がわかると言います。サタンは時に、御言葉をもって又、光の御使いのようなふりをして、私たちを神から引き離すために、やってきますが、私たちが神様と真実な深い交わりを持っているなら、それが悪魔のからのものであることを知ることができます。 良い羊は、羊飼いの声を聞き分けるのです。 c、 同じ苦しみを通ってきた兄弟 また、「ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを 通って来た」のです。私たちは、悲劇のヒーロー・ヒロインに陥りやすいのです。私だけがこんなに苦しく、悲しい...誰も自分をわかってくれない...神様は不公平だ...とつぶやいたことは無いでしょうか? この手紙は、パウロ、シルワノ、テモテからテサロニケの人々へ書かれましたが、そのパウロもこのような苦難にあったと言っています。Ⅱコリント11章にあります。「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え乾き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」キリストを宣べ伝えるパウロに起こった様々の試練の中にあっても、彼は弱り果てるのでなく、内なる強いお方に信頼しました。 今、試練の中にある人はいますか? 神様は必ず脱出の道を備えてくださっています。 Ⅲ、不動の者としてくださる(10-11) a、 あらゆる恵みに満ちた神 神様は、ただ私たちを苦しめ悩まそうとしておられるイジワルなお方ではありません。あらゆる恵みに満ちた方なのです。私たちをかけがえのない子と呼んでくださるお方なのです。私たちが何かをしたから良くしてくださるようなケチンボな神様ではありません。 b、 永遠の栄光の中に招き入れてくださった神 私たちが、いのちを得るために、その愛するひとり子をさえ、惜しまずに与えてくださったのです。永遠の栄光の中に招き入れてくださった愛の神様の御手の下に私たちはあるのです。 c、 苦しみのあとで その愛なる神様のご支配の中にある苦しみは、私たちを、完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者と変えるためのものなのです。 ダビデも詩篇の中でこのように言っています。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それで、私はあなたのおおせを学びました。」 最後に、アメリカの南部連合の無名兵士が書いたひとつの詩を紹介したいと思います。 『苦しみを越えて』 大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、 謙遜を学ぶように弱い者とされた。 より偉大なことができるように健康を求めたのに、 よりよいことができるようにと病気を戴いた。 幸せになろうとして富を求めたのに、 賢明であるようにと貧しさを授かった。 世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、 神を求め続けるようにと弱さを授かった。 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、 あらゆることを喜べるようにと命を授かった。 求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬものであるにも拘わらず、 心の中の言い表わせない祈りはすべて叶えられた。 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。 |